沿革

組織化、法人化までの歴史

 九州で初めて海難救助の組織を作ったのは八代海で育った勇者達である。

 時に、昭和47年7月6日、連日の豪雨で記録的な降雨量に耐え切れず天草地方で崖崩れや山津波が相次いで発生した。その被害は壊滅的な惨状となり一夜にして通信、交通が遮断され孤立した。辛うじて、夜明けに漁業従事者より緊急救護の連絡を受けた三角・上天草地区の小型船舶所有者たちは海上保安部、自衛隊等に協力し災害救援・救助にあたった。

 

 この活動に集った機縁により、九州で初めての民間による「海難救助協力隊」が組織された。その後、関係諸官庁のご指導を仰ぎ、翌48年6月15日に「熊本県海難救助協力隊」として正式に発足した。その後、旧三角海上保安部跡、旧三角町資料館(現熊本県宇城市三角町 西港公園内 龍驤館)に三角町の無償貸与により本部事務所を移し昭和51年4月15日に「熊本県海難救助隊」へ改名。県内各地に地区隊を結成し、特殊隊としてアクアラング隊、飛行隊、医療救護隊、無線隊を配属し機動力溢れる組織に成長。昭和56年5月に「九州管区海難救助隊」と改名し、県内外に海難救助活動とその普及にあたった。


 これまで隊員のひたむきな熱意と奉仕の精神で人命救助をはじめ海難事故救助、海上パトロール、海上安全指導や海難訓練等を行なってきたが、隊員の減少と高齢化に併せ、今般の日本の高度成長期後の経済の低迷停滞にリンクするように隊員の活動も停滞気味となっている。このままでは志し高い先人たちの人命を尊ぶ社会奉仕の精神で創り上げられた海難救助隊が、いざ有事の際と言う時に機能しなくなることが懸念される。

 

 そんな現状の中、漁船登録隻数及びプレジャーボート保有数はいずれも減少傾向にあるが、機関故障、乗揚げ、見張り不十分による衝突等の事故とマリンレジャーに関する海浜事故の件数は依然目立って高く推移していることから、海難救助隊の活動を活性化することが急務となっていた。


 以上のことから、隊員が積極的に海難救助活動に励めるよう広義的に活動を支援できる態勢を整えること、定期的に隊員と関係機関・地域団体と教育訓練等を行うことで連携を深め、広域災害時に必要な救援・救護の対応を備えることの重要性等から平成23年9月20日「NPO法人熊本県海難救助隊」を設立し、安全で快適な海洋レジャーの普及発展と安全な地域環境作りに励んで活動している。

沿革

  • 昭和47年7月 中旬   九州で初めて「海難救助協力隊」が組織される
  • 昭和48年6月15日 「熊本県海難救助協力隊」発足  初代総隊長に榊原秋義氏就任
  • 昭和51年4月15日 「熊本県海難救助隊」へ改名
  • 昭和52年3月3日~29日 オーストラリア海難救助隊視察  下石兵衛副隊長
  • 昭和56年5月15日 「九州管区海難救助隊」へ改名
  • 昭和56年11月24日  八代地域にて熊本県小安協と合同で海上安全講習会が始まる
  • 平成23年9月20日 「NPO法人熊本県海難救助隊」を設立  初代理事長に永里吉正氏就任
  • 令和 元年6月8日    二代目理事長に木村博幸氏就任